赤色赤光

宗教教育シンポジウム。他力感覚を育む。

2012年6月21日

6月20日、教育シンポジウム「幼少期の宗教心を育てる」を開催しました(パドマ幼稚園・はちす人間教育研究所主催)。私にとって念願の企画で、尊敬する二人の宗教教育者、前の関西学院初等部(小学校)校長の磯貝暁成先生、四天王寺学園の塚原昭應先生と一緒に語らいました。
 

シンポジウムの内容は、改めて再録した冊子を発行しますので、それに譲りますが、私が感銘したのは、宗教教育に賭ける思いの篤さであり、深さでありました。現代の教育はすべて「目に見えるもの」で測られていきます。学力も知力もすべて数字で評価され、上位目指して子どもたちは切磋琢磨を強いられる。むろん必要な競争もありますが、すべてが可視的なもので判断されるとしたら、目に見えない成長とは意味がないのでしょうか。 以前日本の学校を視察したブータンの教育庁の大臣が、「日本の教育には沈黙する時間が必要だ」とおっしゃったそうですが、つまりそういう内面を問うような体験が今の子どもたちに余りに乏しいのではないでしょうか。

  「自己実現」「自己決定」…私たちは、何でも自分でやれる、能力とお金があれば何でもできる、と勘違いしていないでしょうか。自己愛がどんどん膨張して、何でも自分本位がまかり通っていく。繰り返し私がお伝えしてきたことですが、私は私の自力で生きているのではなく、目には見えない他力(ほとけ、自然、世界…)のおかげで生かされています。顔の見える横軸の人間関係だけでなく、かつていたであろう誰か、あるいはこれから出会うかもしれない誰かと、縦軸の関係を結びながら生きています。そういう時間や空間を超えたところに自分の存在理由を発見できた時、人間は大きなものとのつながり(他力感覚)を自覚することができるのです。 幼少期に宗教教育が必要なのは、この他力感覚こそが子どもの根本的な原信頼感を形成するからです。無条件に自分は愛されている、自分が支えられているという自己肯定感を育むからです。日本人の子どもが自尊感情が著しく低いのは、この他力感覚の貧しさがあるからと、私は考えています。

それにしても、聴講に来ていただいた保護者のみなさんの態度も真剣そのもので、ゲストの先生方も感心しておられました。閉会後寄せられたアンケートには、熱心なコメントが綴られていました。 

   「先生方の宗教は違うけど、教育としては同じ方針を持っておられると感じました。私も、常に感謝の気持ちを忘れず生きたいです。そして、誰かによって生かされて存在する、ということに気づくか、気づかないかでは、その人の人生に違いが生じると共感しました」

 

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