赤色赤光

掛け声の不思議。声と身体の関係を考える。

2012年7月9日

毎朝行なう体育ローテーションは、パドマ幼稚園の「名物」です。体育と名がつけられていますが、全園児がリズムにのって、流れるように行う身体運動は、園生活の心地よい一日を刻む欠かせない活動となっています。
園庭では、年中年長のローテーションですが、その指導をしているのが、ベテランの日昔先生です。園児の意欲を引き出す動きはさすが、ですが、とりわけ注目したいのが、先生の身体から発する「声」の迫力です。

 

その言葉自体に意味があるわけではありません。譬えは適切でありませんが、動物が仲間を誘うような、そんな「野生の声」です。あえて文字にすると、「走るぞ。うぉほほほ!」「そーら、いくぞぉ。おおお!」というような、掛け声とか雄叫びの類…それを子どもはたいそう喜びます。敏感に反応もします。
言語には意味を伝える文字言語と、それ以前の音声言語に分かれますが、後者は音調や表情、身ぶりなどと関連して、逆に文字だけでは伝わらない「言語身体」のようなものを孕んでいます。

 

話は変わりますが、一流のアスリートが、競技の最中に掛け声や雄叫びをあげるには、「声」と脳との関連がある、と興味深い話を聞きました。意識の中枢である大脳は、意欲も向上させるが、逆に邪念や雑念も作用させる。緊張とか強迫とか不安とか…一流選手といえど、それ故、思うように能力を発揮させない要因になることもあるそうです。
だが、 「声」(聴覚)は耳から直接小脳に入ります。小脳は、大脳と違って動きを自動化させるはたらきがあるので、プレイヤーに意識とか思考を求めない。つまり、無心で無欲な状態をつくることができといいます。練習で培った型を、不安や緊張を伴わず、自動的に発揮するには、「声」のスイッチが必要なのだ、ということでしょう。
以上はNHKのテレビで見たのですが、番組では跳び箱を跳べなかった小学生が、指導員の掛け声ひとつで楽々跳べるようになった紹介もありました。「声」(テレビではリズムと表現していたが)は、眠れる能力を引き出すのです。

そう考えると、日課活動の音読・素読にも同じことが考えられるのではないでしょうか。黙って本を読む「黙読」とは、じつは大正時代あたりに定着したスタイルで、日本人はもともと「音読」することが常識でした。私たちは意味や記号にどっぷり浸かってしまって、「声」の潜在力の半分も活かしていないのはないか。また身体も、発育や健康に管理されてしまい、本来の応答力を失っているような気がしてなりません。
人間の基礎基本をつくる幼児期、子どもは文字を「音読」することを率先したいし、お母さんが枕元で読んでくださる絵本も、「読み聞かせ」であることが望ましい、と思います。

 

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