赤色赤光

創立68年。園名に込めた思いを忘れない。

2021年11月15日

11月15日はパドマ幼稚園の創立記念日です。幼稚園はお休みですが、今日は午前中、最年少2歳児の入園テストを実施しています。
さて、開園記念日がなぜ3月や4月でなくて11月なのか、先代園長の手記によれば、「大阪府認可取得の見込みで準備していたのが、不備があって持ち越しになり、開園が11月になった」そうで、電柱に貼った園児募集のポスターを泣く泣く剥がして回ったというエピソードが記録されています。
昭和28年のことですから、「パドマ」という園名は当時でいえばハイカラ、あるいは聞きなれない名前でした。支援者からは「大蓮寺幼稚園がいい」「下寺町幼稚園がいい」とか代案も出たそうですが、当時の若き園長はこれだけはと譲らなかったと言います。
パドマとは仏教の言葉で「赤い蓮の花」の意。先代が手記の中でその思いをこう述べています。
「私たちパドマ幼稚園もその名の通り、園児たちが仏様のお守りを受けて、すくすくよい子に育ってほしいという願いとともに、たとえこの世がどのように穢れていても、『我行精進忍終不悔(がぎょうしょうじん・にんじゅうふげ)』、つまり仏様の教えを守り、日々規律ある園生活を通じて、仏様の願いにかなう、立派なよい子に育てていこう、というはげしい決意を持って名付けられました」
「はげしい決意」とは、当時20代の先代園長の思いが募る表現ですが、しかし戦争の空襲で全焼した大蓮寺境内に、この幼稚園の園舎を建てること自体並々ならぬ決意があったことでしょう。
戦後の色影残る当時、幼稚園そのものが珍しく、園児募集は困難を極めました。お寺の檀家の縁故を頼り、地元の有力者の紹介を貰い、小学校の弟妹関係を調べ(当時はおおらかだったのです)戸別訪問を決行したそうです。「義務教育でもないのに、小学校で十分」と敬遠され、中には「名前がハイカラ過ぎる」と断られたとも。隔世の感があります。

この2年間、コロナ禍のため園児募集がはかどらないところがありましたが、それでも少子化の今、当園は毎年定員を大幅に超える志願者に恵まれています。ありがたいことです。決してご縁をおろそかにしているつもりはありませんが、しかし、開園当時の戸別訪問をし、頭を下げ、一人一人の幼児教育の意義を説いた先代やその当時の教職員の誠意や熱情を忘れてはならないと思うのです。
「我行精進 忍終不悔」とは「たとえこの身が苦しみの海に沈むことがあったとしても、本当の願いを果たすその時まで、どこまでも励み、耐え忍び、決して悔いることはありません」という聖典に依っています。これをそのまま幼児に求めるものではありませんが、しかし、68年前、この決意を持って開園されたその思いを、もう一度受け継ぎ直し、また前へ向かって進んでいきたいと願うのです。

 

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