赤色赤光

私たちは、ひとつの網。クラス会、終わる。

2011年6月7日

 年長のクラスでは毎月一回の席替えのたびに、隣の友だちとそれぞれ自己紹介を行ないます。「食べ物は何が好き?」「日曜日は何していた?」質問は子どもたちにお任せです。お互い顔をみながら、「どこが違う?」「何が一緒?」とか、問いは尽きません。次に、担任が「では、お友だちを紹介してください」と呼びかけます。これは自己紹介ならぬ他己紹介、つまりいま紹介しあった隣の友だちのことを、クラスのみんなに紹介するのです。すばらしいことだと思いませんか

 クラスは一緒、みんな友だちではあるけれど、その仲間の絆を結ぶのは、子どもたち自身の活動であり、取り組みであり、生き方です。何も意識しないで、ただ受身のままで、友だちになれたりはしない。同じクラスにめぐり合ったご縁を育む、子どもたちの不断の営みがあります。

 

 

 話は変わりますが、今日、最年少、年少のクラス会が終わりました。クラスごとに、ほとんどのお母さんに出席いただいて、担任の話を聞いたり、自己紹介したり、楽しいひと時でしたが、私はそこでも同じようにお母さんどうしが「ご縁を育む」大切さを申し上げました。一人ひとりの生まれも育ちも違うのに、同じ年に同じ幼稚園に、しかも同じクラスに集うこのめぐり合わせは、「誰か」からのはからいとしか言いようがない。その目には見えないつながりを、仏教では「縁起」(ご縁)として大切にしてきました。

 仏教には、偶然とか奇跡というものは存在しません。すべての関係性は、ある因果に基づき、なるべくしてなったのであって、そこには人間の意識を超えた大きなはからいがあります。だから、出会いのご縁をよろこぶのですが、ただしそのご縁を持続して、熟していくのは当人たちの意識やはたらきが必要です。子も親も、いろんな個性があります。いろんな感情もあります。それらをよく調え、ひとつのオーケストラのように楽曲を奏でる。顔も姿も違う私たちが、そのご縁を確かなものに育んでいくには、一人一人のお母さんの思いやはたらきかけが必要なのです。子も親も、その不断の努力を1年間、積み重ねて、はじめてクラスは本当のクラスとして一体のものになっていくのだと思います。

 仏教聖典には、こうあります。

 「網の目が互いにつながりあって網をつくっているように、すべてのものはつながりあっている。

 網の目は、他の目とかかわりあってひとつの目といわれる。網の目は、それぞれ、他の網が成り立つために、役立っている」

  クラスもまた、ひとつの網。だから、誰もけっして欠いてはならないのです。

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