赤色赤光

内なる輝きがあって、ゆたかな表現を発現する。音楽リズム発表会。

2010年2月9日

 去る2月7日、お天気に恵まれて、当園の音楽リズム発表会が開催されました。1年間の教育の集大成とあって、会場には1000人を超える参観者で満場となりました。

 発表会のねらいは、いうまでもありませんが、それぞれの学年、それぞれの子どもにとって、ゆたかな表現力です。日々の練習の積み重ねの晴れ舞台でもあるのですが、見誤ってはいけないのは、幼児教育は表現だけが成果目標ではないということです。私は、このゆたかな表現の下絵になっている子どもたちの「存在感」こそ、1年間の成果と呼ぶにふさわしいものだと思います。

 「存在感」とは、難しい言葉ですが、あるべき人があるべき所にあるべきようにいる、存在している、ということです。わかりやすくいえば、その子らしい「輝き」にあふれているということです。

「あの人は輝いている」という言い方をしますが、「輝き」とは何かの能力として指すものではありません。「輝き」について試験があるわけでもない。時間を経れば誰にでも身につく、というものでもありません。それこそ毎日の幼稚園での生活の積み重ね、、お友だちと、先生と、日々精励してきた賜物と、ご家庭でお父さん、お母さんやご家族のみなさんから届けてくださった親しみや暖かさ、そういったものをすべてエネルギーの源として「輝き」がにじみ出てくるのだと思います。

 子どもにも人生があります。大人同様に、よろこびやたのしみや、時にはつらい思いもあったかもしれない。しかし、そういうものすべてを自分の人格に織り込みながら、「いまここに生きている」という子ども一人ひとりの「輝き」「存在感」を形作ってきたと思います。

 とりわけ小さな子どもたちの表現というものは、小手先のテクニックで演じられるものではありません。子どもの内なる充実、「輝き」があって、それが外へと表出されることで、見事な歌や合奏となります。表現があるから輝いているというよりも、内なる「輝き」があって、自ずと表現へと発現されていくのです。

仏教では、すぐれた仏の力を「智慧」といいますが、それは一般の知識とか技術とは違う意味で用います。仏の智慧とは、まさに今日の子どもたちの「輝き」と同義です。いのちあるものとして生まれてきたよろこびをかみしめ、よく生きることを心からたのしみ、そのおかげに感謝する時、子どもは「仏の子ども」していきいきと「輝いて」くださいます。

 それはまた、人生の途上にあって、しばしば「輝き」を見失いがちな私たち大人に、大きな気づきと励みを授けてくれていると思います。

ページトップへ