赤色赤光

幼児の英語教育。「好き]を「力」にしていく。

2016年5月13日

先日、同志社国際学院初等部(DIA)の横田健司校長先生をお招きして、教育シンポジウムを開催しました。満場の120名ものご参加があり、その熱心さに改めて英語教育の重要性を感じました。

早期英語教育について、かまびすしく議論が続いています。ご承知の通り、2020年度の教育指導要領から小3で必修化、小5・6では成績がつく教科に変わります。そうなれば当然中学校受験のありかたも変わってくるし、同年には大学入試のセンター試験が廃止となって、新しい考査制度も始まります。とにかく英語教育が大きな転換期を迎えていることは間違いありません。
では、早くやればやるほど英語力はつくのか。これには異論もあって、逆に日本語の発達に弊害が出るとか、しつけや生活習慣が疎かになるという反対意見も多い。賛否含めて、こうすればこうなる、という確証はどこにもないのです。

当園はインターナショナルスクールではないので、英語だけに取り組んでいるわけではありません。英語も大事だが、日本語も大事、生活習慣も、音楽や体育も大事です。幼稚園の限られた時間であればこそ、英語教育のねらいは絞り込まれます。幼児期においていちばんたいせつなことは何でしょう。
当園の英語講師ウイル先生は、「まず英語を好きになってほしいし、ぼくを好きになってほしい」とよく言います。未知の異文化は誰でも不安なもの、それを転じて異なる言葉や異なる人(外国人)へ興味や関心としてどう引き出すのか、まずは「英語の楽しさ」を担保することが先決だと言うのです。
ウイル先生のレッスンは、ダンスやアクション、歌(ウイル先生はピアノも演奏されます!)などいろいろなボディワークにあふれています。「話す」「聴く」だけでなく、全身を使って表現することも英語の楽しさであり、またそれが外国語学習の意欲ややる気の入口となるのでしょう。「好き」が、「よろこび」となって、だから「打ち込み」、やがて「力」となっていく。日本語も英語も、幼児にとって「言語」として共通する、好循環のサイクルがあるのです。

もうひとつ、外国語は英語だけではありません。世界で英語圏と非英語圏(イスラムや中国)の対立があるように、「言語」はどうしても説明や理解や合意を必要とします。もちろんそれも大切ですが、一方で意味世界に頼らない、非言語(ノンバーバル)のコミュニケーションも見落としてはならないのではないでしょうか。
当園の仏教教育では言葉以上に儀礼や作法、態度やふるまい、姿勢を重視します。幼い時に身についた身体の伝統の型は、グローバルな世界で通用するその人のアイデンティティとなります。言葉だけでは伝えきれない、そういう身体言語の基本を、幼児期のうちにしっかり埋め込んでおくことも大切なことと考えます。

現在の園児たちが大人になる頃(2030年代)には、社会はすっかり変わっていることでしょう。英語力はすでに当たり前になっているかもしれないが、同様に幼児期の間に育まれた人間の基本は、時代を超えて、不変の原型として生涯を支え続けると思います。

 

 

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