赤色赤光

薫習。ことばの香りを伝える。

2010年9月10日

先日、当園のある職員から2学期の抱負として、こんなことが述べられました。

「子どもたちの手本となるような、やさしく、ていねいで、正しい日本語の使用を心がけていきたい。職員同士の会話でも、親しさだけでなく、互いに意識していきたい」
当たり前のことのようですが、これはなかなかむずかしい。子どもが相手だと、つい親しさが馴れ合いになったり、感情語に流されることも少なくありません。
ことばは生き物。たった一言のことばが相手を救うこともあれば、逆に一生の傷を負わせることもあります。正しいことばとはどうあればいいのか、私は仏教の話を引用して、こう職員に話しました。

 

仏教でも、ことばについての戒めはたいへん多い。十善戒の中に、ことばに関するものが4つもあるというのは、逆にいえば、お釈迦さまがことばのこわさを十分認識されていたからだと思います。ことばがけに対し、自覚的であり、抑制的であること。そういうことばのポイントとして、古い仏典「鋸喩経」には下記の5つを挙げています。

①そのことばは、時機がふさわしいか。
②そのことばは、慈しみに満ちているか。
③そのことばは、事実であるか。
④そのことばは、有益であるか。
⑤そのことばは、柔和であるか。

5つの心得のうち、一番最初が「柔和=やさしいこと」ではなく。「時機=タイミング」を挙げていることも興味深いと思いますが、ともあれ2500年も前から、人類はかくもことばを大切にしてきたわけです。そして、今もなお、この問いかけは達成することがなく、続いている。何と奥深いことでしょう。
また、もう一方で、仏教は「ことばに操られるな」と戒めます。「ことばに縛られるのではなく、ことばの本質を見よ」と。
「薫習(くんじゅう)」という言葉が、仏教の唯識にあります。「薫習」とは、布に香りが染み付くように、時間をかけて願いや思いが相手に伝わることです。幼児の間、私たち大人のことばがけは、意味や情報の伝達だけが目的ではない。それよりももっと大切なものは、ことばの根底にある私たちの願い、思いがどれほど伝わっているか。ことばの上辺にとらわれて、「薫習の心」を忘れてはならないと教えてくれます。

「ありがとう。わたしは、あなたが大好き」

そのシンプルなことばにこめられた、先生の願い、お母さんの思い。今日、あなたのことばから、子どもにどんな香りが届けられたでしょうか。

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