赤色赤光

祈りと卒業式。

2011年3月17日

 東北・関東のたいへんな被害が報じられる中、3月15日、第57回卒業式が執り行われました。朝のテレビでは、厳寒の被災地の様子や原発の報道が続いていましたが、この日、大阪は穏やかな日和に恵まれ、お父さんもお母さんも晴れ着で多数出席されていました。卒業生を迎える講堂はぎっしりと満場、しかし、どこか複雑な気持ちを抱いている方もあったのかもしれません。

 開式に先立って、私は父母の前で、ツイッターでフォローしている、あるお母さんの書き込みを紹介しました。

 『今日は、末っ子の卒園式です。こんな悲しみや困難に覆われている中で祝ってもらうなんて、と思いました……でも、これからを乗り越えていくのは、人と人のつながり。この子も、そのつながりに生かされています。せめてそのありがたさを噛みしめながら、私は今日一日を過ごそうと思います…』

 人は何かを喪った時、初めて日常のありがたさが身にしみてわかるといいます。子どもが今ここにこうして生きている、ということ。それは当たり前でも何でもなく、じつに「有り難い」(有ることが難しい)ことなのだと再発見をします。いのちとはじつに繊細で、はかなく、揺らいでいる。だからこそ、すべてのいのちは尊いのです。

 私は言葉を続けました。

 「卒業の日のありがたさを噛みしめて、どうぞ子どもたちの未来を祝ってあげてください。わが子のみならず、すべての子どもたちの未来に、深い祈りを傾けて、祝ってあげてください。私はそれが、これからの日本の復興への一番確かな道だと思います」

 卒業式とは、別れの式典です。でありながら、人はみな卒業生を祝う。それは、幼稚園の課程を修了したことへの祝意であり、また3年間、4年間、よく生き抜いたことへの共感でもあり、次の新しい小学校生活への希望でもあります。その意味で、別れとは、次のたいせつな何かと出会うための道なのです。
震災の余波が渦巻く最中、今年の卒業式は格別に切なく、愛しく感じました。いまかつてなかったほどの悲痛な状況に私たちはあるけれど、しかし、目の前の子どもたちはこんなに健気に、そしてたくましく、何の疑いもなく明日への希望を謳いあげているではないか。その思いをたいせつに、しっかり生きていこう---そう励まされていました。

 この日、PTA有志により卒業生保護者に義援金の呼びかけがあり、20万円を超える募金が寄せられました。茨城まで物資を運ぶお父さんもいました。人の気持ちは、けっして萎えていない。今は、何よりも祈りを重ね、子どもたちに、その心をしっかり伝えていきましょう。

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